POYO

あたらしいくにわたくしま

雑記

星空の 下のソーシャルディスタンス

しょっぱなから一句よんでしまったし、つまりキーボードから離れられていない現状。

 

デカい餅の話をします。

それはとても大きくて、まず臼が悲しんだ。

「私はこの店で一番重くて大きかったのに、ぽっとでのやわこいのに負けた。しかもそれを作ったのが私なんて。」

それを聞いて心の狭い餅屋の若いのが怒る。

「作ったのは外でもない俺で、お前はただそこにいただけだろ!」

それを聞いて餅屋の店主が怒る。

「店で喧嘩するなみっともねえ。揃って出て行け!」

生まれたばかりの大きな餅は自分のせいで喧嘩がおこるのが悲しくて逃げ出す。自分がいなければ平和だったのにと泣きながら……。

 

え、デカい餅かわいそ〜〜〜!!!!!!!でもこの間蚊帳の外極めてるいつもの餅たちもかわいそう。なんならちゃんと仕事してるのに何にもやってないみたいな扱い受ける臼もかわいそう。ただでさえダメージ受けてるっぽいんだからそっとしておいてやればいいのにね。ただそこで自分のプライドを優先しちゃうのが若いのの若いのたる所以というか。

 

窓の外の出来事に耳を済ませて過ごしている、とき、そこに私は必要がない、のだけれど。心のどこかで、道ゆく人が、私のふとした一言に惚れ込みデモが起こったりすればいいなあと思っているのも事実。

 

昔の覚書を見て、何にそんなに怒っているの?ぽよよ?はわ〜と思っているけれど、私へ。そうならないために覚書ってるんじゃないの?私より。

 

青色が足りていない毎日は限りなく物足りないので、誰か、限りなく青くなって、常に私の視界に入っていて欲しいね。青色が可愛いだけで私は別に青色じゃなくてもいいということに気づいたのでこういうことを言っています。髪の毛って私のヘアスタイルだと基本的に視界に入ってこないから、青髪にしたところで常に鏡見てないと意味ないやんって気づいちゃった。誰よりそばにいるのに遠いよ……ベイベ……。

陽気な気分ですぅ。

 

デカい餅のこと、どれくらい考えて生活していますか?私は困った時悲しい時嬉しい時辛い時怖い時溢れる時、デカい餅のことを考えてしまいます。詰まるところの大体いつもです。ふとした瞬間いつだって私はデカい餅と共にいるんだということを自覚させられて、正直な話それなりにプレッシャーです。なんてったってデカいから。それにわたしそもそもそんなに餅が好きじゃない。あとお餅って呼びたい派。デカいところいがい肯定(※ズィーヤ⭐︎)できないし、乃至。乃至って単語めちゃめちゃ好きですペルセウス。全然、使う機会ないけど。私の文章では。むしろ誰の文章ではある?Mr.麿のブログタイトルのイメージですぽよかねえ。

一晩中思いつくままに文章書いてやろうかしら。愛と勇気ですごいことになっちゃいそう。過度な水やりは植物を枯らす原因です。ゲイン下げましょう。中音〜!

盛り上がっているか日の出アパートの住人たち、あるいは進化人。俺はいつまで経ってもひねくれの世界から帰ってこられません。僕がエフェクターなら、あまりの中途半端な歪みかたに世界中の気持ち悪い音愛好家を震え上がらすことができただろうに。きっと高値がついたのに。日下部の花子さん。会いたいんだ今すぐその角から飛び出してきてくれないか(ななこおねいさん)。クレヨンしんちゃんは春日部か。惜しい!おしいって言葉すごいよなあ。限りなくおしりに近いもんなあ。手書きだったら多分見分けつかないぜ。いとりなんてほとんど同じ形だもん。母音も一緒だし。ところで終わり、おしまいのことをくっつけておしりという文化はどこ発祥なんだろう。私がいうのもなんだけど、あまりにこじつけすぎない?どちらかに響きが似ているわけでも関連性があるわけでもなく、ただただ一文字違いの下ネタにしてやろうというそういう根性、愛おしいよ。おしり。